西宮詩夫の世界
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池田永治の年譜(2013年5月22日現在)

2013年5月22日 by nishinomiyautao

池田永治(1889~1950)の年譜

(雅号は、永治、永一治、永一路、牛歩、田牛、牛、Ushi、天地生など )

明治22(1889)年1歳
10月15日 池田直次郎・きくの長男として京都三条木屋町に生まれる。

明治24(1891)年3歳
大阪市南区北桃谷町25番地に移る。

明治28(1895)年7歳
4月 大阪市立大宝尋常小学校に入学。この後、父に学校を下げられ
船場の金物問屋に小僧にやられるが、一ヶ月で家に戻り、父の
仕事である木版業の修業をする。

明治29(1896)年8歳
9月 妹幸生まれる。

明治32(1899)年11歳
3月 弟実(洋画家池田実人)生まれる。

明治34(1901)年13歳
4月 大阪市立東区第二高等小学校に入学する。

明治37(1904)年16歳
4月 私立前川塾(前川虎山)に入る。

明治39(1906)年18歳
1月 妹繁子生まれる。
3月 高等小学校を卒業。父が製版・印刷の仕事を継がせようとして
知己の印刷会社に見習いに出される。
(この頃から東上の計画をたてていた。)

明治40(1907)年19歳
11月 「中学世界」に応募画(コマ絵)が掲載される。
(この後明治44年2月まで投稿掲載)
明治41(1908)年20歳
1月 「ハガキ文学」の応募画(コマ絵)が掲載される。
(この後明治43年9月まで投稿掲載)
3月  父直次郎が死去(享年53)し、家督を継ぐ。
8月 「文章世界」の応募画(コマ絵)が掲載される。
(この後、明治43年10月まで投稿掲載)

明治42年(1909)年21歳
6月 徴兵検査に合格し、補充兵歩兵に編入される。
11月3日 本格的に画業を進めるために大阪を出奔、
4日 東京芝の親戚に投宿、その後上野の下の薪屋の二階に移る。
第3回文部省美術展覧会(文展)を観て感動する。

明治43年(1910)年22歳
1月 私立太平洋画会付属洋画研究所に入り、早速新年会に出席。
3月 第8回太平洋画会展覧会に「曇り」を出品。
秋 第4回文展に出品、「牧場」が入選し、褒状を受 ける。

明治44年(1911)年23歳
1月 太平洋画会会員に推薦される。
4月 第9回太平洋画会展覧会に「黄昏」「井戸端」「河岸」「赤い煙突」
を出品し、その一部が宮内省に購入される。

明治45年(1912)年24歳
4月 第10回太平洋画会展覧会に「菊」を出品。
7月より 「文章世界」の挿絵を担当。

大正2年(1913)年25歳
3月より 「中学世界」の挿絵を担当。
5月 第11回太平洋画会展覧会に「小島」「五月の潮来」「春の夕」
「夏の浅草」「日比谷公園」「金仙花」を出品。
第7回文展に出品、「冷香」が入選。

大正3(1914)年26歳
2月 発刊の「現代の洋画」第23号版画号(日本洋画協会)に
版画「早春」を所載。
東京市下谷区稲荷町に転居。
第8回文展に出品、「イソップ」(作中の少女は妹繁子がモデル)、
「春光」 が入選。

大正4(1915)年27歳
3月 第12回太平洋画会展覧会に「秋の日を浴びて」「雪の行樹街」
「雪の日比谷公園」「三つの瓶」「春待ち」を出品。
6月17日 近藤浩一路、岡本一平らと「東京漫画会」を設立。
同年同会主催の第1回漫画祭を主催
(以後解散までの9年間に10回開催される)
第9回文展に出品、「近郊から」が入選、褒状を受ける。
10月 平田百穂、小川芋銭、川端龍子らの推薦で「珊瑚会」に加盟。

大正5(1916)年28歳
4月16日 第1回「文章世界」出身者の会「十日会(於・日本橋鴻の巣)に出席。
幹事は西村陽吉、木下茂、秋山京村、水守亀之助。
大正6(1917)年29歳
5月 第14回太平洋画会展覧会に「湖畔の町」「室の片隅」「櫻樹」を出品。

大正7(1918)年30歳
3月 第15回太平洋画会展覧会に「粉雪降る」「国境」「湖畔の■」
(■の一字分不詳) 「ステーション」を出品。
牛歩画会を興し、紙本半截を百本に限って、会費一口7円で会員に頒布。

大正8(1919)年31歳
2月 第16回太平洋画会展覧会に「春雨」「二日月(伊豆)」「夏の上諏訪」を出品。
第1回美術院展覧会(帝展)に出品、「沼畔初秋」が入選。

大正9(1920)年32歳
3月15~17日 池田永治新作展覧会「新作山十二題」を開催( 神田俳画堂)。
4月頃 第8回光風会展覧会に会員外出品。(上野公園竹の台陳列館)
5月より 第三次「東京パック」に作品を掲載。
(第17回太平洋画会展覧会とその出品については情報未詳。)

大正10(1921)年33歳
3月 第18回太平洋画会展覧会に「静物習作」を出品。
3月3日 熊木ひさと結婚。
7月 東京漫画家集団の一員として平福百穂、池部鈞、細木原青起らと
秋田県の田沢湖、男鹿半島、十和田湖を巡遊。
11月25日 長女タカ生まれる。

大正11(1922)年34歳
朝鮮を旅行し、「寸鉄」4月号に「漫画紀行 朝鮮巡礼」を発表。

大正12(1923)年35歳
近藤浩一路、岡本一平、池部鈞、服部亮英、細木原清起らと
「日本漫画会」を設立。
9月 関東大震災に遭い、家族全員で高岡の妻の実家に避難。

大正13(1924)年36歳
1月 田端閻魔堂に仮寓。
3月 第20回太平洋画会展覧会に「事務所」を出品。
12月12日 次女ヒロ生まれる。

大正14(1925)年37歳
2月 第21回太平洋画会展覧会に「枯れ立つ雁紅」を出品。
6月 「聖徳太子奉賛展覧会」の展覧委員を総裁宮殿下より仰せ付けらる。
第6回帝展に出品、「田端風景」が入選。

大正15(1926)年38歳
1月 第22回太平洋画会展覧会に「秋に立つ」「歳寒二趣」を 出品。
4月 本郷区駒込動坂町112番地に転居。
夏 中国の杭州西湖鯉魚に旅行する。
第7回帝展に出品、「水辺初秋」が入選。

昭和2(1927)年39歳
2月 第23回太平洋画会展覧会に「光った屋根とレール」
「高楼雨後展望」を出品。
第8回帝展に出品、「水郷平明」が入選。

昭和3(1928)年40歳
1月5日~10日 第5回日本漫画界展覧会に出品。(三越)
2月 第24回太平洋画会展覧会に「隅田川雪後」「(ニコライ)復活」
「鏡ある静物」 「妙義金洞奇峰」「赤い馬車」「花三種」を出品。
3月 妹繁子死去(享年22歳)。この死を悲しみ、一つ増やす意味で
雅号を「永一治」(えいじ)に改めた。
夏より 日本挿絵家協会発起人となる。
8月 第四次「東京パック」に作品を掲載。
第9回帝展に出品、「展望」が入選する。

昭和4(1929)年41歳
2月 第25回太平洋画会展覧会に「菊ダリヤなど」「高原のゴルフ場」
「初夏の草花」「アンテナ風景」「弁天島の夏」を出品。
2月20日 三女タツミ生まれる。
第9回帝展に出品、「街頭迎秋」が入選。同展に弟実(実人)も出品し、
「黄色の夏衣」が入選。
10月 私立太平洋美術学校教授に任命される。
11月11日 「花袋翁全快祝の集いに 出席。」(日本橋偕楽園)
この年日本電報通信社議会漫画特派員となる。
この年日本漫画会第6回展覧会に出品

昭和5(1930)年42歳
2月 第26回太平洋画会展覧会に
「復興へ」「ツェツペリンを待つ」「春の光ふりそそぐ」を出品。
2月22日~28日 日本漫画会と漫画家連盟の総合展覧会。( 東京堂)
5月13日 田山花袋氏死去、16日葬儀に参列。
6月池部鈞、服部亮英、細木原青起らと大島に遊ぶ。
(9月10日 小冊子発行「大島漫画行」東京湾汽船)
6月20日 田山花袋追悼晩餐会に出席。(東京会館)
11月 黒部峡谷猿飛に写生旅行。

昭和6(1931)年43歳
2月 第27回太平洋画会展覧会に
「旗のある風景」「窓から」番外「赤い船」「山湖霧晴」を出品。
2月 読売新聞社漫画部に入社。政治漫画、日曜付録の
「読売サンデー漫画」「よみうり少年漫画」を担当、作品を掲載。
(「ピチベ出かした」は1933年まで連載)

昭和7(1932)年44歳
2月 第28回太平洋画会展覧会に「春昼」「不忍初夏」「旗日」
「花」「群立」を出品。
4月 太平洋画会創立30周年記念展覧会に「四月の花」
「祝福太平洋」を出品。
5月13日 田山花袋追悼晩餐会(三周忌)に出席。(麻布龍土軒)
5月 弟実人個展を開く。(上野松坂屋)
6月 近藤日出造、横山隆一、杉浦幸雄、宮尾しげを、前川千帆らと
「新漫画派集団」を結成。
夏 本郷区駒込林町202に転居。

昭和8(1933)年45歳
4月 第29回 太平洋画会展記念覧会に「山間に春が来た」
「海上風雨強かるべし」「浅間草花」を出品。
第14回帝展に出品、「窓外秋晴」が入選。
12月 独立漫画研究所を主宰し、自宅に看板を掲げる。

昭和9(1934)年46歳
2月 第30回記念太平洋画会展覧会に「万国旗」「島と海」を出品。
3月 読売新聞社を退社。この頃純芸術運動の実際に入ろうとした。
第15回帝展に出品、「まど」が入選。
11月 太平洋画会展覧会実行委員となる。

昭和10(1935)年47歳
2月 第31回太平洋画会展覧会に「山湖舟遊」、水彩「雑音」
(ぞうおん)を出品。
1月15日 四女嘉納生まれる。
2月 改革太平洋美術学校教授となる。
4月11日 新聞之新聞社主催の漫画座談会で講演。

昭和11(1936)年48歳
2月 第32回太平洋画会展覧会に「紀州の海」を出品。
この頃 自宅のアトリエを「山水画室」と呼んだ。
5月25日 田山花袋七周忌追悼会に出席。(丸の内山水楼)
第16回帝展に出品、「闘意」が招待作品。

昭和12(1937)年49歳
1月 伊勢丹漫画展覧会に出品。
1月4日~12日 個展「池田永一治阪神彩画(かみがたすけっち)展」
を開催。 (大阪梅田阪急百貨店)
1月15日より 十合のデパートで漫画展が開かれ特別出品。
政府博覧会(東京日日新聞社主催)に特別作品。
三越海軍展(海軍省後援)に「海」を出品
7月 漫画大島旅行展を開催。(日本橋白木屋)
8月 恤兵(じゅっぺい)洋画寄贈展に出品。(上野松坂屋)
第1回新文展に出品、「出漁」が入選。
無鑑査出品となり以後毎回出品。

昭和13(1938)年50歳
3月 第34回太平洋画会展覧会に「春潮」を出品。
第2回新文展に「ひのまる」を出品。

昭和14(1939)年51歳
3月 第35回太平洋画会展覧会に「山湖春信」「湖畔亭春雨」
「双峰清秋」 「南紀潮香」を出品。
第3回新文展に「春潮」を出品。

昭和15(1940)年52歳
3月 第36回太平洋画会展覧会に「雪の伊奈波山」「朝富士」
「金華山春雪」「錦雲湧雲」を出品。
8月 新日本漫画家協会発足に参加、10月機関誌「漫画」を創刊。
(戦争中は漫画誌に時局漫画を数多く執筆掲載。)
10月28日 長男辰彦生まれる。
紀元二千六百年奉祝展覧会に「奉祝二千六百年」を出品。

昭和16(1941)年53歳
2月 第37回太平洋画会展覧会に「立春山水習作」
「伊豆の正月」を出品。
12月 「新理念 俳画の技法」(芸術学院出版部)を刊行。

昭和17(1942)年54歳
2月 第38回太平洋画会展覧会に「春水四澤満」を出品。
第5回新文展に「国土豊」を出品。

昭和18(1943)年55歳
3月 第39回太平洋画会展覧会に「早春」「好日」を出品。
第6回新文展に「日の丸仰ぐ」を出品。

昭和19(1944)年56歳
第40回太平洋画会展覧会に「学鷲に告ぐ」を出品。
戦時特別展に「国柱不二」を出品。

昭和20(1945)年57歳
銀座松屋において進駐軍慰安文化交歓の主意で漫画家が
共同で画千余枚を描く。(翌年まで)

昭和21(1946)年58歳
春第1回日展に「春来る」が入選。
秋第2回日展に「鳥渡る」が入選。
(焦土の丘から上野の山を遠望する構図である。)

昭和22(1947)年59歳
第3回日展に「城頭新秋(近衛聨隊跡)」が入選。

昭和24(1949)年61歳
12月4日 東京を離れ、妻の妹の嫁ぎ先である富山県氷見の
白石家に12日まで滞在。以後、次女ヒロの勤め住む
氷見郡阿尾村診療所に落ち着く。
12月12日 母きく死去。(享年80歳)

昭和25(1950)年62歳

12月30日 糖尿病のため阿尾村阿尾491番地にて死去。
(享年62歳)

没後
昭和26(1951)年
4月9日~12日 高岡市文化団体連盟主催、北日本新聞協賛により
「池田永治遺作展」が開かれ、代表作「国土豊」「日出処」
など20点余りの作品が展示される。(高岡市高志画廊)

平成10(1998)年
10月17日~11月15日 田山花袋記念館(群馬県館林市)により
「第15回特別展 池田永治の世界(花袋著書の装幀を軸に)」
が 開かれ、関係者からの資料が展示され、「池田永治の世界」
(花袋著書の装幀を軸に)」館林市教育委員会文化振興課)
が刊行される。

平成17(2005)年
4月 遺作の「少年漫画 ピチベでかした」(昭和6~8年読売新聞社少年付録として連載)が
長男池田辰彦によって牧歌社から刊行される。

※ 以上の年譜は、『池田永治の世界(花袋著書の装丁を軸に)』館林市教育委員会文化振興課
(田山花袋研究家の丸山幸子氏、池田永治の遺族による)より転載させていただき、その後に
得た情報によって西宮詩夫が補正加筆したものです。

カテゴリー: 年譜, 詩夫の世界, 資 料 2( 池田永治の主な展覧会の西洋画出品作 池田永治(1889~1950)の年譜 ), ~最近の詩や文章~ コメント: no comments »

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