西宮詩夫の世界
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詩集「楠の六月」

楠の6月

詩集 「楠の六月」 (詩学社、2004)の中から

罐からカン

「たつひこ 来られ」母によばれた。背をま
わして水屋から罐詰を出し、硝子鉢にあけて
くれる。三、四切れの蜜柑がシロップに浮き
あがる。さっき、みんなの前で分けおわった
はずの罐だった。
運搬車をこいでもどると、臭いと熱気がむか
える。肉屋のせまい土間で豚の脂身を炊く。
一斗罐を軍手で傾けて丸罐に移す。ラードを
採りつづける。店主がいった。「高校の試験
に落ちたら、来いよ」帰りに本屋があった。
着剣した水兵に駆逐艦へ護送されてゆく争議
の漁師たち。「蟹工船」を読んだ。安保改定、
大学管理法、家庭教師、寮ぐらし。どこが蓋
で、底で、胴か。加圧されるたび、耳が鳴る。
カンチューハイをよんだ短歌がとびこんで、
「罐」をふきとばし、「カン」に変えてくれた。
そのうすいガラスの音符をあけて私はビールを
飲んでいる。

だちかんよ

ふるさとの小路はしもた屋ばかりがくねくね。
ぬけられそうになると、まがり角がなくなる。
人かげがなくなる。時計がとまる。小学校に
も家にもたどり着かない。(かあさん)、叫ぶ
とさめそうになる。
 四十八年ぶりに歩くと、半径百メートル
 のコンパスにおさまる町じゃないか。
ゆめであなたは家にいない。じっさいとちが
って、親戚の二階に間借りしたり、アパート
にひとり住まいだったりしている。わたしが
まだ生まれていない歳なのか、あねのような
まなざしでふしぎそうにむかえる。
 あなたがふしあわせだったはずはないが、
 しあわせだったといいきれるだろうか。
八人ぶんはたらいて景色のうしろにさがって
いったひと。いきどおることにも口ごもった
ひと。ふるさとからきりはなれたわたしに、
しみだしてくる方言がある。(だちかんよ)、
あなたがけっしてつかわなかったことば。